能登の災害救援に行ってみた
能登半島の災害救援に行く機会があり行ってきました。
活動期間は2024年10月27日~11月1日でした。
私が派遣された場所は名舟と言う御陣乗太鼓で有名な地区でした。
ずいぶん昔に、NHKの日本風土記で能登の伝統が放送されており、御陣乗太鼓が印象に残っていました。
おそらく昭和中期に撮影された映像だったともいますが、探しても見当たりません。
当時の少年だった方が、新日本風土記ではおじさんになって出演しておりました。
時と時代の流れは面白いですね。
うっすらとそのあたりの地区で活動できたらいいなと思っていたので、配属地が決まった時は運命を感じました。
しかも名舟寺のすぐ近くで、復旧を任されたお宅は昔から代々そこに住み、伝統を見て継承してきた方の家でした。
この写真は名舟寺の凄惨な姿です。
能登の地震と豪雨災害のダブルパンチによって崩れてしまいました。
家主さんとは次第に打ち解けて、この地区の昔の写真を見せてくれたり、地域の話をしてくれました。
この名舟地区は地震による家屋の損傷をコツコツと直し、家屋の修繕にめどがついて、やっと終わるという時、能登の豪雨で地震より甚大な被害が出ました。
この地区の方々は2重災害で精神的に参っていました。
皆、終わりの見えないトンネル状態でした。
私は家屋復旧のため泥だしを行いました。
これがきつい作業で、体力に自信のある私でも3日目には疲労がたまり
朝起きるのがつらくなったほどでした。
泥出しと言うと泥をただ出すだけと思いますが、そうではありませんでした。
実際の泥の中には一緒に流れてきた大きな岩がゴロゴロを介在しており、さらには枝や木の幹が張り巡らされ、まるで鉄筋コンクリートの様そうでした。
そのため、シャベルでグサッとさしても刺さりません。
枝や岩にぶつかり全然泥が出せないのです。
それらをツルハシで耕すようにほぐしてから出すのです。
しかも、下水が死んでいるエリアではとてつもなく不衛生なにおいが立ち込めます。
その不衛生な物体は道路に流れ出て乾きます。そこに復興支援の車両が通り不衛生な物質が粉塵となり舞い上がります。
とても大変な災害救援でしたが、いい経験になりました。
特に現地で出会った仲間とは今もやり取りしております。
自分の意思で自分の時間と費用を負担し、この場所に集まった人達です。
業種もそれぞれ違い、仕事のイノベーションや気付きもありました。
自衛隊以来のチームワークを発揮して、爽快な気分になりました。
初めて災害救援を行いましたがやってよかったと思います。
見返りを求めないからこそ、得れた経験と仲間でした。人生の財産だと思います。
皆、其々。必死に生きています。
もちろん自分や、自分の家族が第一優先です。
その中で、他人のために何かしよう。
と思える気持ちの余裕は常に持ち、たまには見返りを求めず、他者ために自分を費やすのもいいのではないでしょうか。
そんな生き方もカッコいいんじゃなかなと感じました。
人はいつか必ず死にます。
その時、何が残り、生き続けるのか。
マインド
意志や精神、心意気だけは残るんじゃないかなと思っています。
御陣乗太鼓の伝統継承のように。
家主はとても喜んでおられました。
またこの地区に観光に訪れたいと思います。